和泉経済研究所

独立系証券アナリストという仕事

シャープを創った男 早川徳次伝 

「シャープを創った男」を読みました。タイトル通り、シャープの創業者である早川徳次郎の偉人伝なのですが、関東大震災前までの情景は、藤沢周平の江戸庶民文学のような悲喜こもごもな味わいがあります。

早川氏は、1893年東京日本橋生まれで、2才で養子に出され、8才から丁稚奉公に出され金属加工職人となります。22才でシャープペンシルを開発しベンチャー企業の社長として頭角を現しますが、30才で関東大震災に遭い妻と子供と工場をなくします。壮絶な震災絵図です。この時の避難先が、私の自宅から程近い清澄公園(当時は岩崎別邸)こともあり、このあたりから、ぐいぐいとこの本にひきこまれました。

震災後は、大阪に移転し、シャーペン事業は、取引先へ売却し(させられた)、新たに早川金属工業研究所を興します。そこで、医療機器関連の部品製造がヒットし、業容を拡大する一方、当時、できたばかりのラジオの研究を進めます。苦しい時の医療機器頼みということが90年前にもあったのですね。そしてラジオ事業も順調に拡大し中国、アセアンに事業領域を拡大していきます。が、戦争と戦後不況で、再び危機が訪れますが、これも、「何糞主義」(今で云う気合いだ!です)で乗り切る訳です。

終戦は52才で迎え(私は最近53才になりましたw)、その後、高度成長の並みに乗り、亡くなったのは1980年、86才です。この約30年間もまた濃密でして、再婚は長らく事実婚であったこと、福祉に注力されたこと、養父を含め、周囲の人間や従業員、取引先をとても大切にしたことなど、興味深いこと、示唆に富むことが多く書かれてあり勉強になりました。

「何糞主義」も、従業員や取引先を大事にする振る舞いも、今のシャープにはなくなってしまったようです。残っているのは、大きな池が近くににある本社や工場だけ。池の近くに本社や工場を建てたのは、創業者の関東大震災の経験によります。BCP(事業継続計画)の考えを早くから取り入れていたということですね。早川徳次から学ぶべきことは多いです。何糞主義で、この夏とこれからの30年を乗り切ろうと思いました。

シャープを創った男 早川徳次伝

シャープを創った男 早川徳次伝