和泉経済研究所

独立系証券アナリストという仕事

石坂泰三 もうきみには頼まない

もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界 (文春文庫)

もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界 (文春文庫)

第一生命、東芝、アラビア石油の社長や、経団連万国博覧会協会の会長を歴任した石坂泰三の生涯を城山三郎が描いた作品を読みました。

表題の「もうきみには頼まない」は、経団連が発足して間もなく、経団連ビルを建設するために大手町界隈の土地を国から払い下げてもらう交渉中に、のらりくらりと結論を先延ばしする当時の大蔵大臣水田三喜男に放った言葉です。権力者に対しても、ずけずけとものが言える人だったということ。

ただ、これは石坂氏が経団連会長になってからの話で、興味深かったのは、むしろ、戦前の第一生命社長時代や、その後の浪人生活を経て東芝の社長になるまでの話でした。特に以下の3つ。


第一は、戦前、第一生命の社長時代、財務見通しがよく当たったというくだり。株式運用がうまかったそうです。城山三郎によれば、目で学び、足で学ぶ心がけの成果で、石坂氏は出張の時は、必ず、一日余分にとり、発電所や工場などを見学していたそうです。海外にも当時の日本人には珍しく、頻繁に出張に行っている。好奇心がきわめて旺盛な人だったようです。


第二は、終戦直後、50才を過ぎ、第一生命の社長職を解かれ、公職追放ともなり、仕事がなかった時に、五島慶太(東急グループ創始者)など数名で小さな証券会社を興したこと云うくだり。ベンチャーもやろうとしたということですね。家にはこもらず、頻繁に友人と会っていたという話は、50才という年齢はまだ、中間点なのだということを気づかせてくれます。

第3は、東芝時代の会長、社長人事。会長時代、石坂氏も社長人事には無関心ではなかったようです。土光さんを社長にするために、当時の東芝社長の岩下氏を更迭を画策したということです。歴史は繰り返す、を実感w